「余が、余が記憶を継げば……!?」
「そう、この月讀にとって貴方の存在意義は、この記憶を継ぐという行為においてのみあるのよ。記憶を継ぐことによって貴方を自分の子として認めることができる」
「それは情とは呼ばぬのではないか?」
ええ、柳也殿の仰られるように、神奈様の母君のいうことはとても情のようには感じ取れません。それは酷く儀礼的で心無きものに感じ取られます。
「この月讀には感情というものがない。だから一般的な意味における情はそもそも持ち合わせていないのよ。それに、貴方に記憶を継ぐ気がないとしたなら、それこそ子として貴方を認識することさえできないわ」
「……」
神奈様は口を開かずただ沈黙しているだけでございました。無理もございません。記憶を受け継ぐということは、もしかしたなら自分というものが消えるのかもしれないのですから。
身体そのものは生きていても、心は死に絶える。それは何人にも堪えられぬものでございましょう。何より母君に情が生まれたとしても、その情を受け取る神奈様が情を感じられぬ存在になってしまっては意味がございません。それが怖くて神奈様は答えを出せずにいるのでしょう。
「真に、真に余が記憶を継げば母君は余を愛してくれるのだな……?」
「それはないわ。この月讀は愛など持ち合わせていないのだから」
「神奈、止めておけ! 記憶を継げば人ではなくなるのだぞ!?」
「然るに、柳也殿。余が月讀の記憶を受け継げば、母君は余を自分の子として認めてくれるのだぞ。ならば余の答えはただ一つ……」
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巻十二「月讀の子として」
「母君。余は母君の子として記憶を受け継ぐ!」
それが神奈様の出したお答えでした。記憶を受け継ぐことにより自分に多大なる負荷が掛かろうとも、母に子として認めてもらう道を神奈様は選んだのでした。
「そう。なら神奈、この月讀の元へ来なさい」
「はい」
神奈様は素直に母君の元へ近付いて行きました。
スッ。
神奈様の母君は右手を差出し、神奈様の額に当てました。
「神奈。今から貴方にこの月讀が受け継ぎし記憶を継がせるわ」
それはとても静寂で神聖な儀式のように思えました。二人共一言も語らずに、厳かな空気が流れる中記憶を受け継ぐ儀式は続きました。
「うっ……ぐぅ……ああああああああっ!?」
刹那、まるで気でも違ったかの如き神奈様の悲鳴が辺りに響き渡りました。
「どうした神奈!?」
「あらゆる生物の痛み、苦しみ、絶望、死。その負の想いが余をっ! あああああああっ!!」
星の記憶。それは数多の生物の生と死の苦しみも受け継がれるのでしょう。その苦しみに堪え切れず、神奈様は悲鳴をあげ続けるのでした。
「神奈っ!」
多くの負の想いに押し潰されそうになっている神奈様の元へ柳也殿は近付き、そして神奈様を強く抱きしめました。
「あああああっ! 柳也殿! 柳也殿!」
「神奈、思い出せ! お前が今まで体験してきた幸福な思い出を。それに、星の記憶は負の感情だけではない筈だ! 喜び、楽しみ、誕生。負の想いなど比べ様にないくらい暖かな想いで、負の想いを打ち消すんだ!!」
「無理だ、無理だ柳也殿。負の想いは逆に暖かな想いを打ち消そうとするのだ……。ううっ、ああっ!!」
「神奈、負けるな! 我がお前を支える! 負の想いを打ち消せる程の暖かな思い出を創らせる! だから神奈、負の想いに堪え切るんだ!!」
「あ、兄君……兄君……!!」
その時、突然神奈様が柳也殿を兄君とお呼びになりました。
「神奈っ……?」
「月讀の、月讀の天照に対する想い、姉君に対する想いが、柳也殿を兄君と認識させるのだ……!」
「神奈、ならば我はお前の兄となろう! 兄がお前の負の感情を全て受け止めてやる!」
「兄君、兄君〜〜っ!!」
柳也殿は更に強く神奈様を抱き締めました。すると、神奈様は次第にお心を和らげて行きました。恐らく月讀命はずっと求めつづけていたのでしょう。姉である天照大神の包容力を。
「柳也殿……」
「神奈、堪え切ったのか……?」
「うむ。もう大丈夫だ。柳也殿、ありがとう……」
先程とは違い、満面の笑顔で神奈様は自ら柳也殿に抱き付いたのでした。
「堪えたのね、神奈。わらわですら堪え切れなかった記憶の継承に。貴方は人と交わりし子、だから堪えられたのかもしれない……」
その刹那、神奈様の母君は力を使い切ったかの如く、静かに地面に倒れたのでした……。
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「母君っ!」
「これでいいのよ、神奈。わらわはお前にすべてを受け継がせたのよ。このわらわの命までも……」
「母君、どうして……」
「記憶を子に継がせるのが月讀の子孫の生きる意味だから。わらわは既に生きる目的を果たした。だからこれでいいのよ、神奈……」
「は、母君……」
その時、今まで感情を表すことのなかった神奈様の母君の顔に、軽い笑みが浮かびました。
「母君、心が戻ったのだな……」
「ええ。人類が心を持たないなんて嘘よ。確かに新人類よりは感情が少なかったわ。けど、心というものが脳の一部分だと理解出来るようになっても尚、永遠や宇宙に対する関心は消えることがなかった。
もし、心が完全になかったなら、そのような夢すら抱かないはずだから」
「ならば、何故心がないように振舞ったのだ!?」
「神奈、貴方もそうだったように、わらわも母君から記憶を受け継いだ時、負の想いに苛まれた。そしてわらわは心が持たなかった。心があるから負の感情に苛まれる。ならば心を捨てればいいと、負の想いに押し潰されてしまった。
貴方より感情が少なかったわらわでさえそうだった。月讀に続く記憶を継ぐ者も皆、心が持たなかった。けど、そんなわらわ達より感性が強い貴方が負の想いに打ち勝った。それはあの男のお陰ね」
そう仰られ、神奈様の母君は柳也殿の方へ顔を向けました。
「子を産むという行為が記憶を継ぐ目的の為の手段と成り果ててから、愛などというのは記憶を乱す障害となっていた。確かに愛は時に人の心を乱す。けど、愛があったからこそ、貴方は負の想いに打ち勝てた……。
柳也といいましたね。貴方の言葉に偽りはありませんね? 神奈を支えるという言葉に」
「ああ。神奈の兄として生涯支える。我にとって神奈は家族も同然だからな」
「それを聞いて安心しました。これでわらわは禍根を残すことなく空へと旅立てる……」
「は……母君……」
神奈様の母君のお言葉を聞くことなく、誰しもが神奈様の母君の死を悟っておりました。ご自分の母君の最期が近いことに、神奈様は止まることのない涙を流し続けました。
「悲しむことではないわ、神奈。親が子より早く逝くのは自然なこと。でも、仕方ないわね。貴方は心があるのだから」
「ははぎみ……ははぎみ……」
「神奈こっちへ。思えば貴方を抱いたことは一度もなかったわね……」
「ははぎみっ……!」
神奈様は母君に今まで自分が心にしまい込んでいた母に対する感情のすべてをぶつけるかの如く、母君に抱き付きました。
「暖かい……。永らく忘れていたこの感覚。ありがとう。さようなら、神奈……」
「は、ははぎみーーーーっ!!」
正暦五年晩夏、私達が見守りし中、神奈様の母君は静かに息を引き取りました。そしてそれは、翼人とも言われた人々の最後の一人が、この大地から姿を消した刻でもありました……。
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「母君……」
「神奈、母君のご遺体はどうする? 高野の地にこのまま眠らせるのか?」
「いや、余自らこの大地へ還す。そして、母君の魂を大気へと旅立たせる……」
そう仰られますと、神奈様は目を瞑り、母君のご遺体に手を差し伸べました。すると、まるで霧が散るが如く、神奈様の母君のご遺体は大気へと舞い上がりました。
「さようなら、母君……」
そう仰られながら、神奈様は悲しきお顔で空を見上げていました。
「嫌なものだな。世の中のあらゆる現象を理解しているが故、どうやれば人が死ぬかも分かるし、どうやれば人が大地へ還えれるかも分かる。この母君の死を悲しむ感情もどうやって発生しているかさえも……。
余以外の月讀の子孫が感情を否定した気持ちが分からないでもない」
「然るに神奈。心というものがどういうものか分かっているからこそ、誰よりも素直な気持ちが表せるのではないか?」
「そうかもしれぬな。少なくとも、余が柳也殿を慕い、想う気持ちに嘘偽りはない」
記憶を継がれし神奈様は、今までより大人びた印象を受けます。数千年の間受け継がれし記憶や知識を得れば、大人びるのも納得がいくものではございますが。
されど、そんな神奈様でも変わらぬ所がございます。それはあまりに無垢なお心です。思えば、神奈様はとても素直で、己のお気持ちを隠すことがございませんでした。そしてそれは、記憶や知識を受け継いだことにより、更に無垢なお心になられたように思われます。
対する私はどうでありましょう? 柳也殿を想い、神奈様に嫉妬する自分の心を隠し通しています。それは余計な争い事を起こさぬようにと自ら心を鎮めているとも言えますが、その心は神奈様程純粋で無垢ではない気が致します。
神奈様は柳也殿を兄として慕っているようでございます。それは間違いなくご本心でありましょう。神奈様は柳也殿を恋人として慕ってはいない。それは柳也殿も同じです。
ならば私が恋人として柳也殿に近付く機会はまだ残されているとも取れます。されど、お二人の仲は兄弟の仲といえども、その繋がりは恋人すら入れぬ強き絆で結ばれており、絆の強さはより永久に近きものになったような気がしてなりません。
私はもう諦めるべきなのでしょうか……。お二人の仲を認め、お二人の前から立ち去るべきなのでしょうか……?
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「さて、柳也殿に裏葉、頼信。今の余は数千年の刻受け継がれし月讀の記憶や知識がある。その中には高野の四神や余の如く、身体そのものの刻を遅くさせる術がある。
そなた達が望むなら、常人の十倍の刻を生きられる身体を施してやるが?」
「俺はいらんな。この身体に流れる天照力があれば、柳兄者程ではないが、若さを保てる筈だ。俺はそれだけで充分だ」
「そうか。柳也殿は? そもそも柳也殿が余の元へ参ったのは、月讀の力が欲しかったからであろう? ならば……」
「我もいらんよ。今の我には天下を取る野望は微塵もない。今の我にあるのは、神奈を生涯を掛けて支えることだ。今の我の願いは、神奈の幸せだ」
「柳兄者! 天下を取る野望がないとはどういうことだ!!」
柳也殿のお言葉に、頼信殿は異を唱えました。頼信殿は柳也殿の野心に惹かれここまで同行されて来たようなもの。異を唱えるのも筋が通っております。
「そもそも我が天皇になろうとしたのは、母君の為だ。母君が我を東宮にするという夢を捨てた以上、我は天皇になる気などない」
「然るに、月讀様亡き今、朱雀である義務から開放されたも同然であろう? ならば……」
「いいえ。神奈様が新たな月讀様となられし以上、私達が四神であることに変わりはありません」
「母君!」
そこには、祐姫様以下高野の四神が集っておりました。
「そなた達は柳也殿の母君を除き、真言密教の開祖空海の指示を受け、四神となったのであったな」
神奈様の話に寄れば、元々月讀の記憶を継ぎし者は代々出羽の地へ住まわれていたと言います。ある時真言密教の開祖空海は、神奈様の母君がいらしゃった羽黒山出羽神社を訪れ、そこで神奈様の母君から教えを請い、真言宗を開いたと言います。
「然り。この知徳以下四神は神奈様が新たな月讀様となられし以上、神奈様のご命令に従う責務がございます」
「そうか、ならば命じる。そなた達四人は今この刻より四神の任を解く。後は自由にするがよい」
「はっ」
こうして神奈様の一言の元、四神達は四神である役目を終えたのでした。
「時にそなた達はどうする? このまま常人の十倍の刻を生きられる身体のままいるか、それとも常人の身体に戻すか……」
「神奈様。この知徳は弘法大師と共に即身仏となる道を選びます」
「そうか。そなたは空海殿と共に刻の止まった眠りに就くか……」
神奈様が仰られるには、代々の月讀様は己の身体だけではなく、様々な人々にもあらゆる力を与えたと言います。
高野の四神が変身するのもその一つであると言います。他の生物の魂と人間を合わせ、その魂に刻まれし記憶と人間が融合することにより異形の者となる。それが変身であると言います。
また、常人の十倍の刻で生きられるよう四神に施したとのことでした。故に、祐姫様は二十数年前と殆ど変わらぬ姿を保っていられたとの話です。
そして、真言密教の開祖である弘法大師こと空海殿は、神奈様の母君から永久に存在できるお力を与えられ、今尚この高野の地に眠られておるとの話であります。
「あれは正に永久に存在する術だ。多少物事を意識出来る機能のみが活動し、後の機能は止まっている状態。それは言葉通り存在するだけのものだが、同時に死ぬこともない。 ほぼ鉱物と同質の存在になると言って過言ではない。知徳殿は真にその道を選ぶのか?」
「然り。それが儂は真の悟りの道だと思いますが故……」
知徳殿だけではなく、玄武と白虎も同じ道を選ぶと言いました。そしてただ一人神奈様の母君だけが、元のお身体にお戻りになられる道を選ぶと仰られました。
「広平、貴方が人としての道を選ぶのなら、私は親として常人と同じ刻を生きます。子が親より早く逝くのは、親にとっては堪え難いことなのよ」
「母君……」
「都には既に私の居場所はありません。私は残りの生涯を高野の尼として生き続ける道を選びます」
「そうか。裏葉は? そなたはどうする」
「私も望みません」
柳也殿がお望みにならぬのならば、私も望みはしません。親にとって子が己より早く逝くのが堪え難いように、愛しき君が先に逝くのは堪え難いものですから。
「そうか。ならば余の選ぶ道は一つしかないな……」
そう仰られると、神奈様は静かに瞑想でも為さるかの如く沈黙為さいました。
「これで良いな」
「一体何をしたのだ、神奈?」
「身体の刻の流れを人と同じ刻にしたのだ」
「何故だ、神奈?」
「柳也殿と、同じ刻を歩みたいからだ。余が今までの刻を生き続けたなら、天照力を持ちし柳也殿と言えども、余より早く逝ってしまうであろう?
柳也殿が生涯余を支え続けるのなら、余も生涯柳也殿に支えられたい……」
「神奈……」
人の十倍の刻で生きることは、自分以外の人々が早く逝くことにも繋がります。恐らく神奈様はこの二百年間、多くの親しい人達の別れを体験したことでしょう。
もうそのような別れは繰り返したくない。特に、自分を生涯支えてくれると仰って下さった柳也殿とは……。
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「本当にいいのか? 神奈」
すべてのことを終え、私達は高野の山を後にしました。柳也殿は再び京に戻ると仰られ、神奈様も柳也殿と共に都へ向かうと仰られました。
「柳也殿の力では、疫病を治すことは出来ても、殺めることは叶わぬ」
「疫病を殺める?」
「良いか、柳也殿。そもそも疫病というのは、目に見えぬ小さな生物が起こしているものなのだ。天照力は生命力を増幅させることは出来ても、生命力を無くすことは出来ぬ」
「然るに我はかの村で疫病を患いし民を疫病から解放したぞ?」
「それは恐らく天照力によって、人の疫病と闘う力を高めたのだろう」
神奈様が仰られるには、人間には疫病と闘う力が誰にも備わっており、その力が疫病に負けると、人は疫病に蝕まれるということでした。
「人の疫病と闘う力を高めれば、確かにその者の疫病は治癒される。然れどそれは、あくまでその者の身体に巣食いし疫病を倒したに過ぎぬ。
件の赤疱瘡は一度患っても治癒すればその者は二度と患わぬ弱い弱い疫病だ。然るにこの疫病は大気を伝わり人へ人へと感染していくものだ。
つまり、疫病は大気中に漂っているということだ。この大気に漂いし疫病を殺めぬ限り、疫病を患いし民は後を絶たぬ」
「成程。それで神奈は殺められるというのだな? 大気に漂いし疫病を」
「うむ。余が受け継ぎし月讀の記憶には、疫病がどういう生命体で、どうやれば死ぬかの知識もある。その力を使えばこの星すべての疫病を殺めるのは不可能だが、日本一帯の疫病を殺めることは可能だ」
「そうか。ならば我が出る幕はないな」
「いや、余は疫病を殺めることは出来ても、逆に民の生命力を高めることは出来ぬ。疫病を殺めるのは余の役目だが、民の疫病で弱りし身体を元気付かせるのは柳也殿の役目だ」
生物を殺めることは叶っても、生物を治癒することは叶わない。それは生物を治癒することは叶っても、生物を殺めることは叶わない柳也殿の天照力とは対極に位置するお力と言えるでしょう。
柳也殿のお力が天照力ならば、神奈様のお力は月讀力と言った所でしょうか。
「然るに、柳兄者すら出来ぬ疫病殺しを出来るとは、神奈様も大したものだな」
と、頼信殿が感心為さいました。
「いや、そう感心するものでもない。余は疫病だけではなく、この星のあらゆる生命体がどういうもので、そうすれば殺められるか知っておる。つまり、疫病を殺めるが如く人を殺めることも可能だということだ」
「なっ!?」
「それだけ余の力は強大だということだ。強大な力は使い方を誤れば簡単に人を滅ぼすことが出来る。それは柳也殿とて例外ではない」
「奇異なことを言うな、神奈。我の力は生命力を高める力なのであろう? 生命力を高める力でどうやって人を滅ぼすことが可能だというのだ?」
「力そのものでは人を殺めることは出来ぬ。然るに、間接的に人を殺めることは出来る」
「どういうことだ?」
「先程言ったように、疫病もまた生命体。ならば、その生命体に天照力を施せば……」
そこまで聞いて、私は神奈様が仰られたいことが理解出来ました。つまり、疫病そのものの力を高めれば、疫病の力で人間を死に至らしめることが可能ということです。
「成程。人の疫病と闘う力ではなく、疫病の力を高めれば、手を触れただけで人を殺められるということか」
「それだけではない。人の身体に患っている疫病ではなく、大気に漂っている疫病に力を施せば、手すら触れずに多くの人を殺めることも可能だ」
「手を触れずにか……」
「それだけ余の力も柳也殿の力も強大だということだ。我等の力は人々を救済することが可能なのと同時に、人々を滅ぼすことも可能なのだ」
人を救うことが叶うのと同時に、人を滅ぼすことも叶う。それは力そのものが対極な存在であると言えるでしょう。
私は正直、お二人の力は人知を越えし神のお力だと思っておりました。その思いは今でも変わらぬ所か、ますます高まったようにも思います。されど、神には善き神がいる傍ら、悪しき神もいる。そのことを肝に銘じなければならないと私は思いました。
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「時に神奈。民を疫病から解放せし後はどうする?」
「そうだな……。余の、余の生まれ故郷に帰ろうと思う」
柳也殿の問いに神奈様は暫し沈黙し、そうお答えになられました。
「生まれ故郷か、それも悪くはないな。して、神奈の生まれ故郷は何処なのだ?」
「余は、高野の地で母君の胎内から産まれ、それから間もなくしてあの月讀宮に隔離させられた」
「では再び高野に戻るというのか?」
「いや、高野は余の誕生した地とは言えぬ。余が誕生した地、それは母君が余を身篭った地……」
「それは何処なのだ?」
「みちのく、日高見の地……」
そこは蝦夷の長阿弖流為が本拠地としていた場所と言われています。神奈様が仰られるには、神奈様の母君はお子をお作りになる為、当時みちのくで最強の新人類でありました阿弖流為のいる日高見の地へと、出羽の地からお移りになられたと言います。
「日高見……。蝦夷と最も激しい戦いと言われた巣伏の戦いが行なわれし地が、確かそんな名であったな。
然るに、詳しい場所は知らぬ。神奈には分かるのか?」
「うむ。余が受け継ぎし記憶には、日高見の情景も受け継がれている。余が生まれし地は、日高見の川を仰ぎ眺められる小さき山。その山は母君が移り住んだことから、出羽の山と同じ名が与えられ、同じ名の社が建てられておる。
そしてかの地は、この上なく雪が美しき地だ」
「雪か……」
今が晩夏とはいえ、未だ残暑が残りし時期だからでしょうか。雪の美しき地と聞いただけで、納涼を味わう気分になります。
「この辺りでも冬になれば雪が降るが、それと比べれば如何程だ?」
「この辺りの雪など比較にならぬ。無論美しさだけではなく積雪量もな。気温もこの辺りとは比べ様にないくらい下がり、その上に雪が降り積もる。
その雪は容易に生物の命を奪う。されど、生物の命を奪う側面を持っているからこそ美しいと言える」
「直にこの目で見てみたいものだな」
「うむ。余もだ。雪の情景の記憶は受け継いでいるが、やはり自分自身の目で見、直に肌で触りその感触を味わいたい。
そして、その雪の降り積もる地で柳也殿と共に平穏にひっそりと暮らしたい。それが今の余の夢だ……」
自身の愛する君と生まれ故郷でひっそりと暮らしたい。それは酷く平凡なれど、誰しもが求める夢のように思います。
それは本当に素朴で純粋な夢。されど、神奈様はそんな素朴で純粋な夢さえ叶わないのでした……。
巻十二完
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※後書き
約2週間振りに更新しました。終盤に差し掛かって来たので、これからは集中的に更新していくと思います。
もっとも、当初の予定では7月中に書き終えるつもりでしたので、少し遅い更新ですね。
さて、今回神奈が月讀の知識や記憶を受け継いだのですが、受け継いだ後キャラが違くなるのはお約束といえばお約束です。知識や記憶が増えれば性格やら雰囲気に違いが生じるというのが私の考え方ですので。
また、後半に神奈の生まれ故郷の話が入りますが、この場所は「Kanon傳」、「たいき行」を読んだことがある方なら、どの場所を指しているかはお分かりいただけるかと思います。
それと、原作とは違い無事高野の山を降りた訳ですが、このまま平穏無事には済みません。済んだら話が続かなくなりますので。この後、原作とは違う展開で神奈と柳也との別れがあります。どう別れるかは書きませんが、『みちのくKanon』の第壱話にヒントらしきものが一応示されております。
計画では残す所後3話! 頑張って書き上げ、今月中には「たいき行」第二部を書き始めたいものです。
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巻十三へ
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